天空図書館

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お前が好きなのさ。- 映画「茄子 アンダルシアの夏」評

久々に「茄子 アンダルシアの夏」を見返しました。

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黒田硫黄の漫画「茄子」から自転車ロードレースを題材にした エピソードである「アンダルシアの夏」を原作として2003年に公開されたアニメーション映画がこの「茄子 アンダルシアの夏」です。

当時、自転車ロードレース(以下、ロードレース)を題材にしたアニメ作品というもの自体が珍しく、私自身もこの作品でロードレースにおける「集団」や「逃げ」「アタック」「(ゴール)スプリント」、「エース」「アシスト」とそれぞれの役割、ロードレースにおける風の影響と風除けの重要性など、ロードレース観戦における基本的な知識を得ました。今では「弱虫ペダル」でロードレースを覚えたという人も多いかもしれませんね。(ちなみに私は「弱虫ペダル」は未だ読んで/見てません…。)

また古くからの北海道のオフィスキュー/TEAM NACS/大泉洋ファンにとっては、大泉洋が初めて声優として主演した作品ということで印象に残っている人もいるかもしれません。自身も大の「水曜どうでしょう」ファンという高坂希太郎監督の意向もあっての起用だったようですが、「千と千尋の神隠し」に端役(番台蛙)として出演するだけで大騒ぎという中での主演抜擢でした。その他メインの役所として筧利夫小池栄子と並んでのキャスティング、さらには作品自体もカンヌ国際映画祭へ出品されるということで、ファンにとっての期待度も高い作品だったように思います。

 

さて、物語は「ジロ・デ・イタリア」「ツール・ド・フランス」と並んでグランツールの一つである「ブエルタ・ア・エスパーニャ」(以下、ブエルタ)、その舞台であるスペインで始まります。

スペイン・アンダルシア地方のとある村の出身である主人公「ぺぺ・ベネンヘリ」(以下、ぺぺ)は、ベルギーのビール会社がスポンサーとなっている「チーム・パオパオビール」(以下、パオパオ)に所属しているアシスト選手(以下、アシスト)です。パオパオは今シーズンにおいて未だ「勝ち」(ロードレースにおける(ステージ)優勝)がありません。ぺぺの「仕事」は同じチームのエースである「ギルモア」のステージ優勝のためのサポートです。この日のレースはスペイン・アンダルシア地方での開催、ぺぺの出身の村もコースに組み込まれており、ぺぺにとっては文字通り「地元」でのレースとなります。地元の名物はワインと茄子のアサディジョ漬け。地元のバルでもどうやらパーティーに向けて数日前から仕込んでいるようです。

ロードレースにおけるアシストの役割はエースの消耗を防ぐための風除け、飲料のボトルや補給食の受け渡しから時に他のチームの選手のペースを乱し消耗を誘うためのアタックなど、ちょっとした作業から自身の走りを用いたものまで多岐に渡ります。この日のレースでぺぺはギルモアを引き連れて集団から逃げ切りを狙うアタック(集団から飛び出しての先行)を仕掛け、逃げグループの中でギルモアのために立ち回ることを求められます。地元開催のレースで「色気を出すな」とぺぺに釘を刺すギルモアに対して、ぺぺはこう返します。「今日はオレの日じゃねえ、兄貴の日だーー」

そんな中で以前からスポンサーの覚えが良くなかったぺぺは、監督と共にレースに随行するチームカーに同乗していたスポンサーの人間からクビを言い渡されます。チームの無線がオンであったためそれを無線越しに耳にしてしまうぺぺ。どうにかその場を取り繕い「プロの仕事」を見せろと発破をかける監督に応えるぺぺですが、ぺぺは自身の中の「仕事」に対する思いを心中で吐露します。プロというのは時に実力以上のことを成し遂げてしまうこと、そういう「プロ」でなければ生まれた土地から出ていけないことーー。

逃げグループの中からさらに他の選手をふるい落とす必要があるぺぺは再びアタックを仕掛けます。しかしこのアタックは他の選手が反応して追いついてきたため成功せず。他の選手をふるい落とすには自滅を承知で本気のアタックを仕掛ける必要があるとぺぺは確信します。三度アタックを仕掛けるぺぺですが、他の選手から脅威とは見做されていないぺぺのアタックに今度は誰も反応せず、結果的に単独での逃げになってしまいます。

ロードレースにおいて走行中に受ける風の影響は大きく、通常、複数人の集団で走る場合はそれぞれ風を受ける場所とそうでない場所を交代で入れ替わり、全体としての消耗を減らします。そうしなければお互いが消耗して不利になり、特に逃げグループでは協調しないとすぐに集団に追いつかれて元も子もなくなってしまうからです。そして互いを風除けにするならば当然人数が多い方が有利。逆に単独で逃げているぺぺは最も不利な状況に追い込まれてしまったことになり、逃げグループに一人残されたギルモアも四面楚歌の状況。パオパオにとっては苦しいレース展開となってしまいます。

 

一方でぺぺが「兄貴の日だ」と言ったぺぺの出身の村では結婚式が行われていました。新郎はぺぺの兄である「アンヘル」、新婦はぺぺの元恋人でもある「カルメン」。結婚式の後は旧知である「エルナンデス」の営むバルでパーティーです。バルではエルナンデスが地元のワインと茄子漬けについて熱弁します。古くからの地元の人々にとって、ワインと茄子漬けは欠かせないものなのです。このバルの沿道はこの日のコースでもあり、レーサーである弟を沿道から皆で応援しよう、とアンヘルは呼びかけます。ぺぺが沿道を通るまではバルの中でテレビを見ながら皆で応援しつつ、パーティーは盛況を迎えます。皆が新郎の弟であり地元の選手であるぺぺに熱烈な声援を送ります。当初は「地元を捨てた」とぺぺに憎まれ口を叩いていたエルナンデスもテレビに齧り付いて応援しています。

照りつける日差しに単独での逃げによる消耗。ぺぺの中には様々な思いが去来します。痩せた土地に高い失業率、昔より良くはなったといえぺぺの出身の村は豊かとは言えない地域です。生まれた土地を出て、過去やしがらみを振り払って、生きていくためにぺぺはレーサーになりました。レーサーになるには、レーサーであるためには走り続けて、そして勝たなければなりません。レースの先頭、すなわちぺぺが通過するのに合わせてバルの皆は沿道で声援を送りますが、ぺぺにはそれに応える余裕などありませんでした。

ここでアクシデントが起こります。ぺぺの後に逃げグループがバルの前に差し掛かったところで、バルで飼われている黒猫の「ネグロ」がひょんなことから沿道に飛び出してしまいます。選手達は咄嗟に回避しようとしますが、上手く行かなかった選手が落車(クラッシュ)、落車した選手の中にはギルモアもーー。結局、他の数名の選手とともにギルモアは落車の影響でリタイアとなってしまいます。もはやチームの勝利のためにはぺぺが単独で逃げ切るほかありません。監督は無線でぺぺに新たな「仕事」を告げます。

バルではパーティーもひと段落し、ぺぺを応援するためアンヘル達は車でゴール地点へ向かいます。ゴールの瞬間には間に合わなくても、優勝できれば表彰式には間に合うーー。「地元を捨てた」はずのぺぺですが、地元の人は皆ぺぺを応援し、ぺぺの勝利を願っているのです。

 

逃げ続けるぺぺですが、単独では消耗する一方。ボトルの水も無くなり後は気力との勝負です。容赦無く照りつける日差し、それが一瞬日陰になります。コース近くの丘の上に立てられた、「オズボーンの雄牛」と呼ばれる牛をかたどった看板です。「お前かーー」地域の人々にとって、ぺぺにとっても地元の風景の一つである看板は、ぺぺにとってはまた思い出深い場所でもあります。レーサーになる以前、兵役中のある日にアンヘルカルメンにカフェに呼び出されたぺぺは、そこで二人が交際(あるいは結婚)することを告げられます。無言でふかし続けたタバコを手荒に揉み消して二人の前から立ち去ったぺぺはその夜、かつて兄と奪い合うように乗った自転車で走り続け、看板のある丘の上までやってきます。そこで行き場の無い思いを夜空にぶつけるぺぺ。おそらくぺぺはその日、決心したことでしょう。ここではない、遠くへ行きたいーー苦い思い出を忘れて、地元から遠く離れた場所で生きていくこと。

消耗し切っていたぺぺの目に、再び闘志が宿ります。コースは市街地に差し掛かり、ゴールはもうすぐ。集団のペースも一気に上がり、逃げ切れるかどうか微妙なところ。それでも地元のコースを知り尽くしたぺぺはゴールへ向けて走り続けます。ゴール前になると集団のペースも一気に上がります。ゴールが近づくにつれ集団は怒涛のように押し寄せ、逃げグループの選手も一人また一人と飲み込まれていきます。ロードレースにおけるゴール前の戦い方として、アシスト選手が縦に複数人並んでエースを牽引する形でスリップストリームの効果を活用し、アシスト選手が順に一人ずつ離れることで最後にエースを最速でゴールに送り込む戦法があります。集団先頭にいたチーム・Pフォンは見事にこの形を作り、また逃げグループにいた選手もラストスパート、最後はぺぺも交えて熾烈なゴールスプリントにもつれ込みました。僅差となったゴール結果は写真判定に委ねられます。

 

アンヘル達がゴール地点の表彰ステージにたどり着くと、まさにステージ優勝者の表彰が行われるところでした。アンヘルカルメンも、なんと結婚式の格好のまま来てしまいました。レースのため明日には地元を離れてしまうぺぺに見せる(見せつける)ために。そして優勝者の登場、優勝したのはーーぺぺ・ベネンヘリ。見事単独での逃げ切り優勝を果たしたのです。その後の囲み取材では「パオパオはビールのホームラン王です!」「男は黙ってパオパオビール!」とここぞとばかりにスポンサーにアピール。これもプロのレーサーの仕事、でしょうか。これも勝てばこそです。

レース後、身体の疲労を取るために一人夕暮れの道を走るぺぺ。そこにエルナンデスカルメンの乗った車、さらに自転車に乗ったアンヘルがやって来ます。「なんだよ、来んな!」とあしらうぺぺですが、カルメンはドレス姿を見せて「見てみて、どう、キレイ?」、アンヘルは「パオパオビール、買ってきたぞ」とビールを差し出します。「なんだよ一体!?」と困惑するぺぺに「お前が好きなのさ」とアンヘル、「好きよ、ぺぺ!」とカルメン。ぺぺにとっては忘れたい思い出があり離れたい土地であっても、地元の人々や家族にとってはプロのレーサーとなったぺぺは誇りであり、また愛すべき人なのです。「オレは嫌いだよ!」と口では拒絶してみせるぺぺに、カルメンは笑顔で応えます。

その夜、チーム宿舎の夕食会場では選手やスタッフが今日のヒーローであるぺぺを出迎えます。ささやかですがワインで乾杯、そして食卓には他の料理に混じって茄子のアサディジョ漬けが山盛りに。うんざり顔のぺぺですが、茄子漬けの食べ方を知らないチームメイトの前で茄子を手に取ると(ちょっとイヤそう)、「知らねえのか?こうやって食うのさ」とパクリ。忘れたい思い出があっても、レーサーとして遠く離れた土地で生きていても、結局はぺぺ自身、地元で生きてきた自分自身の過去を完全に捨て去っているわけではないのです。愛憎相半ばする、といったところでしょうか。

この作品には「フランキー」という人物が登場します。原作の漫画には登場しないアニメ版のオリジナルキャラクターですが、このフランキーはぺぺとの対比となるキャラクターとなっています。ぺぺがレーサーとして地元を離れて生きているのに対し、フランキーは地元で母親の面倒を見ながらバルの手伝いなどをして生活しています。おそらくはフランキーも地元を離れて生活することを夢見ていながら、それは叶わなかったようです。「オレの夢は、ぺぺに託したんだ」というフランキーにとって、レーサーとしてのぺぺの存在自体がフランキーにとっては自身の夢の具現化した姿なのです。ぺぺは自身がフランキーにとってそういう存在であることはおそらく知らないのかもしれませんが、ぺぺは自身の夢や生活や、ぺぺの勝利を願う他の人々だけでなく、フランキーの夢をも背負ってぺぺは走ってきたのです。

ぺぺの兄であるアンヘルもまた、ぺぺにとって対比となるキャラクターです。兄弟がまだ子供だった頃、二人は「おじさん」と呼ばれ親戚と思われる「リベラ」に一台の自転車を買ってもらいました。二人は一台の自転車を奪い合うように乗り回します。自転車レーサーとしてのアマチュア時代の成績では、現在プロのレーサーであるぺぺよりもアンヘルの方が上回っていました。しかし兵役中に軍隊のチームからも声がかからず、アンヘルはプロのレーサーになることを諦めます。アンヘルが兵役に出ている間に自転車はすっかりぺぺのものになったようです。ぺぺがプロになるまでの経緯は描かれていないため不明ですが、おそらくはその間に自転車レーサーとしてぺぺは実力をつけたのでしょう。アンヘルにとってぺぺはある意味で自転車だけでなく自分の夢をも「奪った」存在なのです。一方でぺぺが兵役に出ている間に、アンヘルはぺぺにとっても恋人であったカルメンを「奪って」います。一台の自転車と一人の恋人を奪い合った兄弟という関係ですが、ぺぺはまたアンヘルにとってはフランキーと同じく自身の夢を「託した」存在でもあるのです。自身の諦めた夢を掴んでプロになった弟、そのぺぺに宛てた「勝つと思ったよ」というセリフが象徴するように、この日のレースでぺぺの勝利を最も信じていた(願っていた、ではなく)のはアンヘルなのです。

 

自分の人生や「仕事」に向き合い、勝利に向けてひたすらに走り続けるぺぺと、ぺぺを愛し彼に「夢」を託して応援する地元の人々。ほろ苦さはありながらもコミカルなシーンも散りばめられ、47分と映画としては短めながらもボリュームや描写の不足を感じさせることなく、観終わった後にさっぱりとした気分にさせてくれる、そんな作品でした。

 

(余談)

ちょうど20年前の作品ということもあり、描写を含めてやや古臭く感じてしまう部分はあるかもしれませんが、短編アニメーションとしては非常によくまとまっており、完成度の高い作品だと思います。大の自転車好きでもある高坂希太郎監督の作品ということでディティールの描写にもこだわって制作されているそうです。大泉洋が自身のラジオで語ったところでは、解説役のセリフの一部を出来上がった映像に合わせて修正したところもあるとのこと。またロードレースファンとして悪魔の扮装で沿道から応援する通称「悪魔おじさん」らしきキャラクターも登場します。

なお、作中ではレースの総合成績(各ステージの累積タイム)トップの選手が着用する特別なジャージ(ロードレースでは選手が着用するウェア、ユニフォームのことを「ジャージ」と呼びます)である黄色いジャージを「マイヨ・アマリーリョ」と呼んでいますが、現在のブエルタでは「マイヨ・ロホ」と呼ばれる赤いジャージとなっています。ちなみにマイヨ・ロホになったのは2010年からで、1999年から2009年までは「マイヨ・オロ」呼ばれる金色のジャージ、マイヨ・アマリーリョはそれ以前のものでした。実際には作品の公開された2003年時点ではリーダージャージはマイヨ・オロだったのではと思われますが、作品中ではマイヨ・アマリーリョとなっています。

当時はロードレースにおいてヘルメットの着用は義務化されていなかったため、ぺぺ達選手はチームのキャップを被っています。集団ではゴールが近づいた時点でチーム内でヘルメットを配布して着用するシーンがありますが、ぺぺを含めた逃げのメンバーはそのままゴールまで走っています。この辺は特に時代を感じさせる描写ですね。

作中ではアンダルシアの地元の名物として茄子のアサディジョ漬けが登場しますが、これは実際には存在しない料理だそうです。原作の漫画「茄子」は各話が茄子をテーマとした短編集で、その一環として登場させたものでしょう。

続編としてOVA「茄子 スーツケースの渡り鳥」が制作されていますが、こちらは未視聴なので機会があれば観てみたいですね。監督が要望しつつも本作では叶わなかったそうですが、続編では「水曜どうでしょう」のディレクター二名も出演しています。本作も続編も今では各種動画配信サイトで見られるようですので、興味がある方はご覧になってみてください。